2017-05-18 第193回国会 参議院 文教科学委員会 第9号
そういったことで、新たな高等教育機関、職場で起きることに基づく実践的な知識、そして実践知を基にした教育機関ということにしてほしいということで特別部会の中で発言をさせていただきました。
そういったことで、新たな高等教育機関、職場で起きることに基づく実践的な知識、そして実践知を基にした教育機関ということにしてほしいということで特別部会の中で発言をさせていただきました。
これは、経験の蓄積による実践知が構築されず、利用者に対して専門性や継続性を持って良質のサービスを提供することはできません。
それから語学相談員の人たち、それから外国人支援NPOや団体のスタッフ、こういう方たちが今、さきに述べたような非常に深刻な問題をソーシャルワークの専門的な訓練も受けていないまま四苦八苦しながらやっているという状況でありますので、今まで実践知を基盤としていた業務をより専門的なソーシャルワークの枠組みでとらえ直して、より効果的な支援をしていただこうということが一つの目的です。
元来道徳の知識というものは、ほんとにわれわれの人格に蕨される人難いやな言著すが、人格知、人格化された知識、あるいは血となり因となっている生命知、生命化された知識、もしくはほんとうに実践躬行せざるを得ないような状態を負うた実践知、そういう性格を持たない知識は、道徳に関する知識ではない。知ることはやすく、行うことはかたいというが、これは道徳の問題です。道徳の是非善悪を知らぬものはないよ。
よい証拠が、判断力というものは判断力として養う――私はその判断力はほんとうに生活の中で生活に取り組ませつつ判断力を養わないというと、私の言葉で言えば人格知、生命知、実践知というふうな道徳固有の知識というものは形成できないというようなことで、日高さんとそ の点において全く見解を異にするわけであります。日高さんの考えは二元論です。